【見た目では判断できないかもしれない】
こんにちは!龍夏です!
一人の友人が国際関係の学科に通っているのですが、どんなことを学ぶのかと聞いた所、国際関係であればなんでも学び、範囲は決められているわけではなく、自分でトピックを見つけて掘り下げていくと言うスタイルらしいです。
めちゃ面白そうですよね!!!
自分も(一応)国際関係の学部にいるので、話が盛り上がり一緒にトピックを探すことになったのですが、そのことであることを思い出しました。
ルワンダにきてからの経験なのですが、道を歩いていると「外人」と子供に現地語で言われたり「チャイニーズ」だとか「ニーハオ」って話しかけられることが多くあります。アフリカにいるアジア系の人には普通の事なのかもしれません。
でも初めての海外だったので、自分には刺激的な経験でした。
初めの方は日本人としての自覚というかプライドが強い自分としてはイラッとしてしまっていましたが、今では毎日のことなので、
めちゃでかい声で『おはよ!!』というのが常になっています。
そのうち日本人が有名になるといいです笑
でも、彼らにとって、日本人とか中国人であるとかはあまり重要な事ではないのかもしれません。たとえ自分にとっては日本人であるということが重要なことであってもです。
その国の国民であるという自覚は確かに重要なことです。どこの国で生まれ育ったという事実と誇り、文化はアイデンティティーを形成する一つの大きな要素です。
でもそれを客観的に考えた時、自分はアフリカの人々を一つのくくりで考えていたということに気づきました。それは文化的な面での判断だったりはしませんでした。それは外見という判断でした。
そこで考えたことは、『外見』が人のある意味ではアイデンティティーとなって重要な役割を担っているのだけど、大きな壁にもなっているのではないかと言う事です。
大学1年のある授業で、2枚の写真を見せられました。
一枚目は、アジア系の見た目の女性の写真
二枚目は、アフリカ系の見た目の女性の写真
そして先生に質問されたことが「どっちが日本人だと思う?」です。
何も深く考えることなく直感で判断したときに、多くの人が一枚目を選択するのではないでしょうか。
(正解は全く逆で、一枚目はアメリカ国籍の女性、二枚目は日本国籍の女性でした)
このように外見に重きを置いてしまうと、そこに主観的な判断要素が詰め込まれてしまうことになります。彼らの文化的な違い(生活や習慣など)から小さなことまで見落としてしまうことになると思います。
悲しくも他の文化のことを理解しようとするとその文化に入って行く必要があるために、少なくない時間を要する必要があります。それは簡単ではありませんし、そこには理解するという尊敬が必要になります。
少し道ですれ違っただけでは全くと言っていいほど理解することはできないと思います。
幸いにも自分は少なくない時間を一定の場所で過ごす事ができる環境にいます。それに、外見で簡単に判断できる環境にいます。そしてマイノリティー的な存在です。
見た目では判断できないと言う本質と
見た目で判断すると言う現実。
その友達は簡単にはその価値観を変えることはできないし、不可能に近いと言っていました。一人では全く変えられないかもしれませんし、みんなと力を合わせても変えられないかもしれません。人々の心に「見た目は一部にすぎない」という考え方を植え付けるのは少なくとも簡単ではありません。でも、世界は少しずつですが、混ざりつつ変わって来ています。
時間は十分にあります。
もう少し考えて向き合ってみようと思います。