【英語教師と言う立ち位置とネット動画の脅威】

 

おはようございます!!!龍夏です!

最近小さい子を対象に英語教室を始めました。めちゃめちゃ楽しいですが、やっぱり難しいですね(笑)大声出したり、座っていられなかったり、意思の疎通ができないことが一番きついです。でもやりがいは十分にあって、子供たちが楽しそうに英語を叫んでいたりすると元気が出ます。それに、協力してくれている人にも本当に感謝しています。ここにきて、教員免許取ろうと頑張ってた自分がいてよかったと、少し思い始めています。

教員については、大学で取れるきちんとした資格が教員免許くらいだったので、保険かけられるしせっかくなら取ってしまおうという理由で勉強を始めました。だいぶ適当な理由ですが、最近は子供と触れることが多かったりして真剣に教師を目指してみようかなとも思い始めたりしています。

 

自分の大学は外語大学で自分の専攻は英語なので、なるとしたら英語の教員です。

ここでいくつかの疑問と不安が出てきます。

 

簡単にまとめると、英語を教える時にネット動画と授業ではネットが勝つような気がする。ということです。

今の時代、英語を学びたい意欲があればいくらでもネット上で動画や文献を見つけることができます。また、海外の人と簡単につながることができます。日本人の教える英語よりもよっぽど流暢で自然な英語を動画などで瞬時に見つけることができてしまうのです。そう考えると同じように机に座っているような時間ならば動画を探したり映画を見たりして英語を勉強することを選ぶ人の方が多いのではないでしょうか。

 

それに、 アフリカ(海外)にきて感じていることなのですが、英語は学校でわざわざ勉強するようなことじゃないってことです。アフリカの子供については一元にまとめることができないと思いますが、日本の人たちにとって当てはまることではないでしょうか。言語の習得は会話などのコミュニケーションから発生するか、その人にそれなりの需要があるために発生するような事です。わざわざ机に座って多くの時間を費やすような事ではない気がして仕方がありません。

 

同じように、そもそも英語を教えるということが上手く言えないのですが間違っているような気がします。英語とはそもそも言語というコミュニケーション手段の一つです。簡単にいうと、コミュニケーションを取るための単なる道具にすぎません。その道具が何のためにあるのか分からないのに道具を分解したりしても、全く意味がありませんよね。 

 そして、英語を学ぶことによって何をするのかという目的や未来をしっかり伝える必要があると思います。でも目的がはっきりわからないのであれば、学ぶ必要はあるのかという疑問が出てきます。

自分の今いるルワンダでは、公用語が英語になりました。フランス語からいきなり英語に変わってだいぶ時間は経ちましたが英語がしっかり話せない人もまだたくさんいます。でも生きるため、仕事のために英語が必要なのです。

では日本ではどうでしょうか。別に公用語は日本語ですし、英語だって他の言語でも本当に必要になった時に勉強することができる環境が揃っていると思います。そう考えると、関係代名詞などの文法や多すぎる英単語を覚えるよりももっと必要なことが見えてくると思います。

 

英語を教師になって教えるにあたって、文法や単語などを教えようとしていたら、完全にネットに負けてしまいます。効率的に教えることや学ぶことを考えるのであれば、ネット動画や英語のサイトの方がよっぽど強いし、メリットが多いように感じられます。そうなった時、自分は教師として何を教えることができるのでしょうか。

 

続く。笑